結局自分に何が起こったのか
20代前半に体験し30代後半までに3度おこった瞑想状態。
この体験は何だったのだろう
長い間の疑問でした。
レイキで知り合ったお坊さんにも聞いてみました。
お坊さんなら専門の知識と経験があるのではないか。
「3回目の歓喜のような余計な体験があるうちは本物ではない」
それだけしか教えていただけませんでした。
以前から「知るは語らず」とおっしゃっていたので
そうなんかなぁと思っていました。
でも結局はよくわからず。
最近まで保留状態でした。
私が思うに長時間意味が認識できない音?言葉を繰り返すと
(マントラ、お経など)
脳が考えることを止め表層意識と深層意識が分離するのではないかと
考えています。
深い瞑想状態に入ろうとか何も考えずただ繰り返すだけ。
2回目の状態は別として1回目も3回目も文章を呪文のごとく
長時間繰り返しての現象でした。
なので必ずしも神聖な音、バイブレーションでなくても
いいのかもしれませんが、しみこませるならポジティブなものほうが
ありがたい気もします。
50歳を超えた最近、Facebookですごい経験をサラッと
投稿されていた方がおられたので
それにコメントさせていただいたところ
ご返事をいただきました。
その方はチベット仏教の行を学ばれた方で
その知識と経験をお持ちの方でした。
詳しいことはご迷惑をおかけしてはいけないので
ぼかしますが その体験をメッセージで質問してみました。
普通は踏み込んだ内容は答えられない
と断って回答していただきました。
【その状態は停止の状態、マハムドラの状況に似ているが
煩悩の死滅がないのでプラティヤハラの状態です。
何もない状態が空性です。
過去世でも今世でも相当に修行しないと
現れてこない状況です。
最後の経験は歓喜状態、喜です。
それはあなたが甘露の経験をしているので起こってくる経験です。
呼吸の停止がないのでサマディでなく無呼吸に至ってないので
深い集中状態といえます。
潜在意識の領域での思考が可能になった状態であると思います。
ヨーガではその状況をもって解脱と考える流派があるくらいですから
かなり高度な経験であると思います。
仏教ではまだその段階ではないようです。
マハムドラの煩悩の死滅はまだお話する状況ではないようです。】
まだ先があることも感じましたのでお尋ねすると
まだあると。経験をもとめた瞑想からは離れなさい。
と教えて頂きました。
これから死ぬまでにどれくらい修行をすすめられるでしょうか。
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